現代社会において情報技術(IT)は欠かせない存在であり、日常生活やビジネス活動はさまざまなITシステムによって支えられています。しかし、システムはときに障害に見舞われます。そのとき、サービスが直ちに停止してしまうのか、それとも機能を絞りながらでも動作を続けられるのか――この分かれ道に関わる設計思想のひとつが「フェールソフト」です。
フェールソフトとは、システムの一部に障害が発生した場合でも、全体が完全に停止しないように、縮退(機能や性能を限定)しつつサービス提供を継続する考え方です。本記事では、フェールソフトの概念、似た用語との違い、ITでの具体例、実現方法、導入時の注意点を整理します。
フェールソフト(Fail Soft)は、システムの一部が故障しても、可能な限り機能を維持し、サービス全体が突然停止する事態を避ける設計思想です。英語圏では "Fail Soft" のほか、障害時に段階的に機能を落とすニュアンスで "Graceful Degradation(段階的な縮退)" と表現されることもあります。
フェールソフトの狙いは、「障害が起きたら止める」ことではなく、止め方・続け方を設計することにあります。たとえば、障害時に次のような振る舞いを意図的に選びます。
なお、障害時の継続は「便利さ」のためだけではありません。全面停止は、業務中断に加え、障害対応の混乱、暫定対応による設定ミス、復旧作業中の権限誤設定など、二次被害(セキュリティ上の事故を含む)を誘発しやすい面があります。フェールソフトは、こうしたリスクを下げるためにも検討されます。
フェールソフトと似た言葉に「フェールセーフ(Fail Safe)」があります。フェールセーフは、障害や異常が発生した場合に、人命や安全を最優先し、最も安全な状態に移行させる考え方です。必要であれば停止も選びます。
一方でフェールソフトは、可能な限りサービス提供を継続することに重心があります。どちらが正しいというより、対象と目的で使い分けます。たとえば、制御系(安全が最優先)はフェールセーフ寄り、情報サービス(停止による損失が大きい)はフェールソフト寄り、という傾向があります。
実務では、単純に二択ではなく、「安全を守ったうえで、続けられる範囲を定義する」という設計になります。たとえば「決済は止めるが閲覧は継続する」「書き込みは止めて参照のみ許可する」といった形です。
フェールソフトは「壊れたら止まらない」ではなく、壊れ方を設計し、影響範囲を限定するアプローチです。ここでは、ITで起きやすい代表例を挙げます。
決済や在庫連携に不具合が出た場合、購入フローまで無理に通すと誤請求や欠品につながります。そのため、購入だけを一時停止し、商品閲覧やカート保存、問い合わせ導線は維持する、という縮退が現実的です。これにより、売上機会の毀損を最小化しつつ、誤処理の拡大も防ぎます。
データベースの書き込み系に問題が起きたとき、更新処理を続けると整合性が崩れます。そこで、更新を止めて参照のみ許可する縮退を設けます。現場としては「入力はできないが状況確認はできる」ため、完全停止よりも影響を抑えやすくなります。
外部APIやバックエンドが遅延しているとき、常にリアルタイム取得にこだわると画面がタイムアウトします。そこで、一定条件下ではキャッシュ(少し古いデータ)を返す設計にすると、ユーザー体験と業務継続のバランスを取りやすくなります。
外部連携(地図、通知、認証、決済など)が不安定な場合、呼び出し続けると自システム側まで巻き込んで遅延・枯渇が起きます。そこで、失敗が一定回数を超えたら外部呼び出しを停止し、代替ルート(簡易表示・後回し処理)へ切り替えることで、全体の健全性を守ります。
このように、フェールソフトは「障害時も全部動かす」ではなく、優先順位をつけて、提供範囲を狭めることで継続性を確保します。どの機能を残し、どの機能を止めるかは、業務影響・安全性・法令要件・顧客体験の観点で設計します。
フェールソフトが注目される背景には、社会環境とIT環境の変化、そして「システムは故障し得る」という前提があります。

まず、ITシステムが生活とビジネスの中心に入り込み、停止の影響が大きくなりました。オンライン取引、医療、行政、物流、リモートワークなど、停止が個人だけでなく社会全体に波及する場面が増えています。結果として、障害時に「止める」以外の選択肢――縮退しながらでも提供する設計――が求められるようになりました。
次に、クラウドや分散アーキテクチャの普及により、システムは大規模化・複雑化しました。構成要素が増えれば、どこかが一時的に不調になるのは珍しいことではありません。したがって、設計段階から「故障時にどう振る舞うか(どこまで提供し、何を止めるか)」を具体的に決めておくことが重要になります。
さらに、BCP(事業継続)の観点でも、サービス停止の許容度は厳しくなっています。すべてを無停止にするのが理想でも、コストや複雑性の制約があります。だからこそ、止めるのではなく、重要機能を残すという現実的な落としどころとして、フェールソフトが評価されます。
フェールソフトの効果をイメージしやすいように、起きがちな状況を「うまくいかなかった例」と「うまくいった例」に分けて整理します(理解のための想定例です)。
【事例1】工場の製造ライン制御で、周辺機器の小さな故障が連鎖し、制御システム全体が停止。代替ルートや縮退運転が用意されていなかったため、生産が全面停止し、復旧までの損失が拡大しました。
【事例2】オンラインショップで、決済システムの不具合が引き金となり、サイト全体が利用不能に。閲覧や問い合わせなど、残せる機能まで巻き込まれ、売上機会損失が増えました。
【事例3】営業支援システムで一部サーバーに障害が発生したが、負荷分散と切り替え(フェールオーバー)により、サービスは低速になりつつも継続。重要な機能(顧客参照、活動記録の閲覧)は維持され、業務停止を回避しました。
【事例4】データセンターで冷却装置の一部が故障したが、冗長化された設備と制御により、温度管理を維持。性能を落としてでも安全域を守り、サービス停止に至りませんでした。
ポイントは、フェールソフトが「信頼性」だけでなく、故障時の振る舞い(どこまで続け、どこを止めるか)を計画する設計である点です。システムは故障し得る――この前提に立ち、影響範囲を限定することが、結果的に事業へのダメージを抑えます。
フェールソフトを成立させるには、単に部品を増やすだけでは足りません。障害時に「どの状態に落とすか」を決め、その状態へ移行できる設計と運用を組み立てます。ここでは代表的な手法を4つ紹介します。
冗長化は、重要な構成要素を複数用意し、一方が故障しても残りが機能を引き継げるようにする方法です。サーバーのクラスタリング、ネットワーク経路の二重化、ストレージの冗長構成などが代表例です。冗長化により、ダウンタイムを減らし、縮退の必要性そのものを小さくできます。
分散化は、システムを複数の領域に分け、ある領域の障害が全体へ波及しないようにする考え方です。マイクロサービス化、ゾーン分割、リージョン分散、データ分割などが該当します。分散化の狙いは、障害を「全体障害」にしないことです。
また、フェールソフトは「壊れたら切り替える」だけでなく、障害の兆候を捉え、影響が出る前に手当てする仕組みとも相性が良いです。
監視により異常兆候を検知し、問題のあるインスタンスを切り離し、再起動や再配置で回復させる仕組みです。たとえば、ヘルスチェックに失敗したノードを自動的に退役させ、健全なノードへ切り替える、といった運用が代表例です。これにより、ユーザー影響を小さくしながら復旧までの時間を短縮できます。
定期点検やパッチ適用、証明書更新、容量計画などを計画的に行い、突発停止を減らす取り組みです。フェールソフトは「障害が起きても続ける」思想ですが、そもそも障害の確率や規模を下げる活動があるほど、縮退で守るべき範囲が明確になります。
これらは単体でも効果がありますが、組み合わせることで実効性が高まります。重要なのは、何を守るのか(SLOや重要業務)、どこまで落とすのか(縮退状態)、いつ復旧を優先するのかを設計として明確にすることです。
フェールソフト設計は「止めない」ための工夫ですが、万能ではありません。ユーザー、情報システム担当者、経営者の視点で、目的と注意点を整理します。

ユーザーにとってのメリットは、業務が全面停止しにくくなる点です。最低限の機能が残れば、確認・連絡・代替運用などが可能になります。
一方の注意点は、縮退状態が分かりにくいことです。見かけ上は動いているため、ユーザーが「いつも通り」操作してしまい、期待した結果が得られない場合があります。縮退時には、利用者へ状態を通知する(例:機能制限の表示、処理遅延の案内、代替手順の提示)といったUX面の設計が重要です。
情報システム担当者にとってのメリットは、障害発生時に“完全停止”よりも落ち着いて対応しやすいことです。縮退状態に落とせれば、影響を抑えながら原因調査と復旧を進められます。
注意点は、設計・実装・テスト・運用が複雑になりやすいことです。縮退状態は「用意しただけ」では機能しません。縮退条件(どの障害で、どの機能を止めるか)と、切り替えの検証(定期的な訓練・テスト)が不可欠です。
経営者にとってのメリットは、事業継続とブランド維持です。停止が長引くほど、機会損失だけでなく信頼毀損につながります。フェールソフトは、被害の“底”を浅くしやすい考え方です。
注意点はコストです。冗長化や分散、監視、自動化は投資を伴います。また「縮退して続ける」こと自体がリスクになるケースもあります。たとえば、決済や個人情報処理のように、誤処理が許されない領域は、フェールセーフ的な停止が必要になる場合があります。領域ごとに“止めるべきところ”を決めることが重要です。
フェールソフト設計は初期投資と継続的な運用が必要ですが、うまく設計できれば、障害を「致命傷」にしないための強い土台になります。最終的には、組織の要求(重要業務、許容停止時間、法令・契約、顧客影響)に合わせて、適用範囲と縮退の形を決めることが肝要です。
フェールソフトとは、システムの一部に障害が起きても、全体停止を避け、機能や性能を絞りながらでもサービス提供を続ける設計思想です。クラウド化・分散化が進む現代のITでは、「故障しない」前提よりも、「故障時にどう振る舞うか」を設計する重要性が増しています。
ただし、すべてを止めずに続ければよいわけではありません。領域によっては、フェールセーフ的に停止したほうが安全な場合もあります。何を守り、どこまで落とし、どう復旧するのか――この線引きを具体化し、検証し続けることが、フェールソフトを“思想”から“実装”へ落とし込む鍵になります。
一部障害が起きても全体停止を避け、機能や性能を落としながらサービス提供を継続する設計思想です。
フェールセーフは安全を最優先して停止も選びます。フェールソフトは提供継続を重視し、縮退しながら動作を続けます。
同じではありません。フェールソフトは縮退を含むため、機能制限や性能低下を前提に継続します。
重要度の低い機能を止める、更新を止めて参照だけにする、キャッシュを返すなど、提供範囲を意図的に狭めます。
業務影響、誤処理リスク、法令・契約要件、顧客体験を基に優先順位を付けて決めます。
冗長化、分散化、監視と自動復旧、予防的メンテナンスの組み合わせが代表的です。
冗長化は故障しても切り替えて動かす仕組みです。フェールソフトは切り替えに加え、機能制限など縮退の設計も含みます。
設計と運用が複雑になり、追加コストが発生します。縮退状態の周知が不十分だと利用者が混乱する可能性もあります。
あります。決済や個人情報処理など誤処理が致命的な領域は、停止して安全を確保する設計が必要になることがあります。
出ません。縮退条件と切り替え動作を定期的に検証し、運用手順と周知を整備して初めて機能します。